前熊多度社
海上多度神社
この社は山口村の枝村である海上部落の氏神として祀られていた。当社の棟札によれば江戸時代の貞享年間に伊勢の国の多度神社の御分霊を勧請したものである。此の神の霊釼は五穀の豊穣と雨乞いであり、耕地の狭小に悩む集落にあっては当然な事であろう。
古記録によれば盛時には二十四戸の家があり、村民によって祭事が営まれ、多度神社名物の上げ馬も行われた。この時には山口部落からも献馬があった。(と言い伝えがある。)
此の社も郷社八幡社への合祀が命令された。多くの神社がそうであったように村人たちは合祀を拒み続けご神体を隠し現在地の方法1キロメートルほどの所に祀ってあった。昭和五十八年五月に新社殿建立を機に、約八〇年振りに現社地に遷宮した